星のキャミバ様 Adventure Calendar 第一夜: SQ0615

昨年の2月。今の会社との面接電話:

「もしシンガポールに引越ししてくれと言われたら、どうしますか?」

「今すぐに、は無理です。そもそも今回の転職を考えている理由が、今は日本にいたい、ですから。でもまあ何年か経って子供が大きくなってからなら考えてもいいですよ」


その「何年か」は結局、一年八ヶ月だった。




なぜ今の会社に転職したか?それは子供のために日本に残るため。


前の会社が東京に見切りをつけ、アジアオフィスを香港に移動することに決定した。私はニューヨークの本社に来ないかと打診された。しかし、それは私達の子供が生まれる、ちょうどその時だった。もし、子供が既に居て、それなりに大きくなっていたり、それとも、妻が妊娠していたとしても、早期だった場合、間違いなくニューヨークに行っていただろう。しかし、既に初めての出産と子育て準備で忙しかった私達に、ちょうど同時期の国外引越しはあまりにも難しく思われた。だから、辞めた。


前の会社の人達とは今でも仲良くしている。もし行ったらどうなっていたんだろうかと思うこともあるが、辞めたことは後悔はしていない。やはり子育ては大変で、日本に残ったのは正解だった。何度も息子の祖母たちに東京まで来てもらって助けてもらえたのは心強かった。


打診されるまでの「何年か」は、一年八ヶ月。その間に息子は一歳八ヶ月になって、私達のまわりを走り回り、なにやら日本語のようなものをペチャペチャしゃべり、こけて大泣きするようになった。歩き出してからの育児はまた違った大変さがあるが、それでも、この間に私達にもそれなりに子育ての勘を掴むことができたようだ。息子は日本語を喋るといってもまだ二語文が出てきたくらい、幼稚園も学校もまだ先だ。今なら、出ていけるだろう。帰りたかったら何時でも帰れる。


だから、今回は家族で日本を離れることにした。


私と妻が知り合ったのはフランスだ。それぞれ 7年、9年、滞在していた。一緒に戻ってきて東京で 8年目。まあ良い潮時だ。


私達はフランスでいろいろ楽しいこともあったが、日本に住んでいないことで苦労もした。でも、喉元過ぎればなんとやらで、また外国に住んでみたくなった、ということかもしれない。


まあ、なんとかなるだろう。フランス語もろくに喋れず一人でパリに降り立った時と比べれば、歳を取った以外、なんということはない。




関空で出発を待ちながらウィスキーを飲んで独りこれを書いている。外の SQ0615 に乗って、寝て、起きればシンガポール。なぜ異動を求められたのか、なぜ今独りなのか、シンガポールに住むとはどんなことなのか、それはこれからおいおい書いていくことにしたい。




ハァハァ、こんな気障な文章久々に書いたから超疲れたわ。明日からは仕事やし、もっと気楽に書くよってな!