世間に動揺を与えたことに、謝罪の言葉はないか、の気味の悪さ

吐き気がする。

自分に何の落度もないという信念を表明している人に、なお、世間を騒がした事に対して謝罪を求める日本の恥文化に吐き気がする。

世間を騒がしているのは、こういう質問をして報道を行う人間と、そしてそういうゴシップを消費する我々一般市民だ。我々自信の低俗性を反省すべきなのであって、ゴシップの対象に謝罪を求めるのはお門違いだ。

逆に、当事者が真っ先に「このたびはお騒がせして申し訳ありません」などと取り敢えず謝罪してみせる行為にも吐き気を感じる。こういった場合、実際に行われた犯罪行為とか、反社会的行為に対する謝罪自体はあまり聞かれることが無い。その辺りを突き詰めると、担当者がいない、とか、訴状が届いていないとか、言い訳をして、結果、うやむやになってしまう。話題を提供したことを謝罪しただけでは何の意味もない。それなのにそれをなんとなく本当の謝罪だと受け取ってしまいがちな我々。
刑事事件の裁判でも、世間を騒がしたからより刑が重い、という判決は良く出る。これも気味が悪い。
この点で私は小沢民主党党首の毅然とした対応を評価したい。

こんな謝りかた、謝罪の要求、断罪の仕方は日本のような恥社会にしか存在しない。西洋では全く理解されないメンタリティなことは確かだ。日本以外の東洋やアラブではどうか知らないから、日本特有の文化とまでは言い切るつもりは無いが、、、この日本風のなんちゃって謝罪は海外では通用しないだけでなく、事態をより悪化させることがあると思った方がいい。

それが、和を持って尊しとなすの呪縛に千年以上囚われた日本文化なのだ、だから日本では世間様を騒がしたら謝らなくてはいけないのだ、と言われればそれまでだが。
それでも私の吐き気は収まらない。