Fallout Shelter

3年前ボストンに行ったときに、港のショッピングモールの建物に在ったマークです。

レンガ作りとはいえ、こんな窓のいっぱいある建物で死の灰が降ってきて助かるものでもないと思います。冷戦時の遺物。鼻で笑ってしまいそうになります。

ただ、彼らは実際には無意味かもしれないけどこういう物を作ったのです。そういう事が起こるリスクを無視できなかったのですね。

それに対し、このごろ日本で起こっている事を思うにつけ、我々はリスクに対する考えが彼らとは根本的に違うようですね。諸行無常の民族性とでもいうのでしょうか。個人の運命など大きな地球規模の天変地異の前には無意味、そういう考え方も、東洋的で、まあありですよね:

ハイハイハイハイそうそうしゃーないしゃーないまあ何やったってダメよそんな時はハイハイハイハイ考えたって無駄だ無駄だしゃーないしゃーない

のいる、こいる師匠すいません。

でも原発の問題は諸行無常の地天変地異では無い。これを「想定外想定外、しゃーないしゃーない」と言い切ってしまえる人達が原発リスクに責任を負っている限り、また同じ事が何時か起こります。その時、「ハイハイハイハイ」と言って済ませられる?

私はヤダネ。

この写真の事をふと思い出したので徒然に書きました。